大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和58年(ワ)7926号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 泉弘之

同 神頭正光

被告 全国農業協同組合連合会

右代表者理事 石川正平

右訴訟代理人弁護士 平岩新吾

同 牛場国雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し金二一七七万二九六八円及びこれに対する昭和五八年八月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  1項につき仮執行宣言

二  被告

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和三〇年四月一日被告の前身である全国販売農業協同組合連合会(以下「全販連」という。)に雇用されたが、全販連は、昭和四七年三月三〇日全国購買農業協同組合連合会(以下「全購連」という。)と合併して被告が成立した。昭和四九年一一月二日原告は、東京地方検察庁より業務上横領罪で起訴(以下「本件起訴」という。)され、被告より就業規則に基づき右同日付けで休職を命ぜられた(以下「本件休職処分」という。)。当時原告は、被告の本所養鶏部養鶏課長の職にあり、別紙給与明細書記載のとおり合計二六万五五二四円の月額給与を受けていた。

その後原告は、昭和五四年六月二七日東京地方裁判所刑事第六部において、右事件について業務上横領罪で懲役八月執行猶予二年の判決言渡を受けたが、控訴し、昭和五六年九月一六日東京高等裁判所第五刑事部において、業務上横領罪とならないものとして無罪の言渡を受け、右無罪判決は同年一〇月一日確定し、同日原告は被告に復職し、その後同年一二月二五日退職した。

ところが、被告は、原告に対し、休職期間中は無給であるとして、休職期間中の昭和四九年一二月から昭和五六年九月まで八二か月分の給与を支払わない。

2  原告は、右休職期間中被告に対し労務の提供をしなかったが、次の理由により、同期間中の賃金請求権を有する。

(一) 原告は、起訴前の昭和四九年一〇月一四日逮捕され、その後勾留されたが、保釈許可により同年一一月二五日釈放された。

(二)(1) 従業員が刑事事件に関し起訴されたからといって、使用者に対する労働契約上の債務の履行が常に当然に不可能になるわけではないから、起訴休職は、単に起訴されたという一事によって形式的一律的に適用すべきものではなく、休職を命ずべき実質的要件が不可欠というべきである。保釈後、原告の被告に対する労務提供には、何らの支障もなかった。本件休職処分は、実質的要件を欠くものであり、不当である。

(2) 本件起訴は、東京高等裁判所の無罪判決の確定により、不当違法であったことが明らかになった。したがって、本件起訴を前提としてなされた本件休職処分も無罪判決確定により、遡及的に不当となった。

(3) 仮りに本件休職処分が不当ではないとしても、本件休職処分は、原告の労務提供が不可能であったためではなく、被告の職場秩序ないし対外信用の維持等もっぱら被告の都合によってなされた処分である。

(三) したがって、右休職期間中原告が被告に対し労務を提供することができなかったのは、不当なもしくはもっぱら被告の都合による本件休職処分のためであって債権者である被告の責に帰すべき事由に因るというべきであるから、原告は反対給付である賃金請求権を失わない(民法五三六条二項)。

3  よって原告は、被告に対し本件休職を命じられた当時の月額給与二六万五五二四円に前記休職期間八二か月を乗じた二一七七万二九六八円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五八年八月七日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実は認める。同2(二)(1)ないし(3)、同2(三)の各主張は争う。

三  請求の原因に対する被告の反論

1  原告に対する起訴休職処分について

原告は昭和四九年一一月二日、別紙記載の公訴事実及び罪名によって、東京地方検察庁検察官により東京地方裁判所に対し公訴提起された。

被告の就業規則によれば、従業員が刑事事件に関し起訴されたときは休職を命ずることになっており(第四二条三号)、休職の期間は、その刑事事件が係属中であり(第四三条三号)、休職期間中の給与は支給しないことになっている(第四四条三号)。被告の右起訴休職の制度は、刑事事件に関し起訴された従業員を引続き就業させることによる職場秩序への影響、対外信用の保持、職務専念義務の履行確保に対する障害への配慮から設けられているのであって、被告は、原告が起訴されたあと、これらの点を総合的に考慮して右就業規則を適用し、原告を起訴休職処分に付したものである。休職処分に付するに当っては、原告が同年一一月二五日保釈により釈放された直後、当時の人事部長古山一彦が原告に面談し、起訴月日である一一月二日付をもって休職処分とすることを告げたものである。なお、就業規則によれば、起訴されたときは原則として休職を命ずることになっており、例外的に「会長が必要と認めたときは別の取扱いをすることができる」ことになっているところ、原告については右「別の取扱い」をする必要が認められず、かえって原則どおり休職を命ずることが前述の見地から当然であると判断されたし、休職中の給与も原則として無給であるが、「特別の事由ある場合は別に定めることができる」ことになっているところ、例外的取扱いは別に定めなかったのであり、かえって右人事部長古山一彦は、前述の休職処分言渡に際し、後述のとおり、就業規則による兼職禁止の規定を適用しないので休職期間中、他に収入を得る方途を求めることを促したのである。

起訴休職制度は従前の諸判例においても、①企業内における職場秩序の維持、②企業の対外的信用の保持、③公判廷への出頭等により起訴された者から安定かつ誠実な労務提供を受けることが困難であるという労務提供上の障害への配慮という三つの目的を有し、右目的を達成するため起訴された者を企業外に一時的に排除する制度としてその合理性が認められている。

被告の原告に対する本件休職処分は右目的を達するために必要だったのであり、右目的を総合すれば右処分は法的には全く問題のない、正当なものであった。

以下、この点について項を分けて説明する。

2  被告の事業目的、事業内容及び組織・規模について

まず原告に対する本件休職処分の正当性を判断する前提として、被告の事業目的等を説明する。

被告は農業協同組合法に基づいて設立され、法人格を付与された法人であり、営利を目的とする会社ではない。同法第八条は「最大奉仕の原則」として「組合は、その行う事業によってその組合員及び会員のために最大の奉仕をすることを目的とし、営利を目的としてその事業を行ってはならない」と定めている。

一般に農業協同組合は、全国的に三段階の組織となっており、一つの系統農協組織を形成している。末端の市町村段階にある単位農協は、全国約四六一万戸の生産者農家が組合員となり、農家の営農指導・生活指導を行う指導事業、農畜産物の集荷・販売と農業生産資材・生活用品の購買供給を行う経済事業、農協貯金を扱う信用事業、保険部門である共済事業などの全てを行う総合農協とその一部だけを行う専門農協に分かれている。この単位農協は相互に出資して、都道府県の段階で右の各事業毎に都道府県単位の連合会を組織し、更に各都道府県段階の連合会が相互に出資して全国段階での事業毎の連合会を組織している。このように農協組織は三段階になっており、このような農協組織全般を総称して系統農協組織といっている。

被告は、前記事業のうち経済事業に関する全国段階における農協連合会である(なお、被告の出資会員は、昭和四九年一〇月末日当時は、都道府県経済農業協同組合連合会(経済連)四八、香川県青果販売農業協同組合など都道府県段階での専門連八、全国開拓農業協同組合連合会など全国段階での全国連二の合計五八であったが、同五二年七月から単位農協が会員として直接加入することになったので同五八年六月末日現在の会員数は四一三一である。)また同四七年三月までは、前記経済事業の全国段階の連合会は農家生産物の集荷・販売部門を取扱う全国販売農業協同組合連合会(全販連)と農家の必要とする生産資材等の購買・供給部門を取扱う全国購買農業協同組合連合会(全購連)とに分かれていたが、同月三〇日全販連と全購連が合併して被告となったのであり、本件休職処分が行なわれた当時、被告は出資金総額約百壱億三千万円、職員数約四千五拾名、東京の本所のほか福岡、札幌、東京、名古屋、大阪に支所、大都市圏内に各種の事業所・研究所および海外に六事業所等を有し、その関連事業分野も広大な一大組織体であった。

3  職場秩序の維持への配慮

原告は大学を卒業して入会した幹部職員であったが、起訴にかかる公訴事実を犯したとされた昭和四六年一二月から同四七年一月当時、右合併前の全販連の東京支所畜産部養鶏課長の職にあり、本件起訴休職処分当時は、右合併後の被告の本所養鶏部養鶏課長の職にあった。そして原告は、昭和四六年一二月から同四七年一月当時、全販連東京支所の行なう鶏の雛及び動物用医薬品の販売等の業務を担当していた。

しかして原告が捜査当局から受けた嫌疑は、原告が右職務上の地位を悪用し、業務上保管中の動物用医薬品の販売代金二〇〇万円余を当時の全販連本所養鶏部長乙山松夫(以下「乙山」という。)と共謀して横領し、遊興費等に費消するなどしたというものであった。

右事件については昭和四九年春頃から警視庁捜査二課による捜査が行われ、被告の養鶏部門関係職員らが参考人として事情聴取されるとともに、原告も同年四月に二度にわたって警視庁より事情聴取を受けた。右捜査は同年一〇月に入るや本格化し、それにつれて新聞報道等もなされるようになり、同年一〇月九日付毎日新聞朝刊は一面に「全農の“黒い霧”にメス・警視庁」という六段抜きの見出しをつけて右事件を報じ、以後、連日のように各全国紙に右事件が報じられた。

こうした中で原告は、同年一〇月九日から一三日まで連日、警視庁捜査二課の取調べを受け、ついに同月一四日逮捕されるに至った。このことは「全農不正・養鶏課長も逮捕・百七十万円着服の疑い」などという見出しの下に一〇月一五日付の朝日、毎日、読売、日経など各全国紙に大々的に原告の実名入り(日経は顔写真入り)で報道された。

また右取調べと並行して被告の関係部署の家宅捜索も行われ、多数の帳簿や書類が押収された。こうした経過を経て原告は同年一一月二日、身柄を勾留されたまま起訴された。

本件事件は被告の幹部職員がその地位を悪用して行った犯行として全国紙などで大きく報道されたため全国各地に所在する生産農家、単位農協、経済連などからの被告に対する批判があいつぎ、被告内部においても職員の動揺はぬぐい難いものがあった。このため被告の会長も昭和五〇年六月三〇日開催の臨時総会では、会員に対し、本件不祥事件が会員はじめ、農協・生産者に至るまで不信と疑惑を招いたことを詫びるとともにこれが払拭と信頼回復のために綱紀を粛正することを約し、また同年秋より全国を一五ブロックに分けて開催された「一日全農」(各県の代表農協と被告との間の被告事業をめぐる意見交換、討論の場)においても、代表農協からの批判に対し被告の会長以下出席常勤役員は同趣旨の決意表明をせざるを得なかったのである。

右に述べたような本件事件をめぐる捜査当局の動き、マスコミの報道、単位農協等からの批判及び本件事件の性質は、被告内部の職員に甚だしい精神的動揺を与えたことはいうまでもない。このことは被告従業員で組織する労働組合である全農労が同四九年一〇月二八日付、被告会長宛公開質問状の中で、本件事件は「全農及び系統農協の信用を失墜させた点において、きわめて重大な問題である」「日々、全農に働く職員にとってきわめて不名誉なことであり、労働組合員、多くの管理職のみならず系統農協に働く人々の間で、事態を引きおこすに至った原因とその責任の所在、責任の取り方について全農自らが明らかにすべきとの世論が圧倒的である」と述べていたことにも端的に表われていた。右のような職員の動揺を除去し、職場秩序を回復、維持するためには、このような事態を引き起こした原告を引き続き職務に従事させておく訳にはいかなかったのは当然である。

また被告は前述のように同四七年三月全購連と全販連が合併して発足して以来なお日が浅かったため不祥事に対しては厳正な処置をすることが被告内部の規律維持のため是非とも必要でもあったのである。なお、原告の共犯者とされた乙山は、本件捜査が本格化する前の同四九年八月五日、退職していたため処分をすることはできなかったが(同人が逮捕されたのは同年一〇月九日)、起訴はされなかったが本件事件に何らかの関与があったとみられる養鶏部門関係の職員については、同五〇年三月一一日付で出勤停止等の懲戒処分を行った。

4  対外信用の保持への配慮

本件事件の性質、本件事件に関する前述したような捜査当局の動きやマスコミの報道が被告の社会的信用を甚だしく失墜せしめたことはいうまでもない。

マスコミ報道の中には「農民の上にあぐらをかいた“黒い農協商法”」(昭和四九年一〇月九日付読売新聞夕刊)という不名誉極りない表現で被告の体質を批判するものまであった。

先に述べたように単位農協等からの批判も厳しくなされ、被告はそれに対し真摯に対応することを迫られた。こうした状況の中で、原告を引き続き職務に従事させることは、被告に対する生産農家、単位農協などの系統組織にあるものや被告の取引先、関連企業など、さらには社会一般の信頼をゆるがせにすることはもとより、被告に対する信用が益々低下することは火を見るよりも明らかであった。このため失墜した信用を回復し、爾後、信用を保持して行くためには、原告を裁判確定に至るまで企業外にとどめておくことが是非とも必要であった。

5  職務専念義務の履行確保への配慮

原告は身柄勾留のまま起訴された上、本件事件のなかみは相当複雑で、関係者も多数にのぼり、加えて原告及び共犯者と目された人達がいずれも公判において無罪を主張するものと予想され、原告及び乙山の業務上横領のほか、乙山と共立商事社長の関係行政当局係官に対する贈収賄の公訴事実も併合審理の対象になるものと予想され、本件の裁判は相当長期にわたるものと推定された。現にその裁判の審理には第一審で四年八ヵ月、更に控訴審で二年二ヵ月を要しており、その間の公判回数は一審四五回、控訴審一四回であった。取調べられた証人数も一審で約三〇名、控訴審で数名の多数にのぼった。

右のような裁判長期化の予測があったので、原告が保釈されても、その後の公判期日における出頭、公判対策のための弁護人や証人等との打合せ、証拠収集など公判準備のための諸活動の必要性などを考えると、到底原告が被告において安定かつ誠実な職務遂行を行えるものと期待することができなかった。このためもし原告を引き続き職務に従事させておけば、原告の担当業務や他の職員の職務遂行にも混乱を生じさせ、円滑な業務の運営に支障を来すおそれがあるものと判断され、しかもこれが職場秩序の維持や対外信用の保持にも重要な障害となるものと判断された。従ってこうした事態を避けるためにも原告を裁判確定に至るまで企業外へとどめておくことがどうしても必要であった。

6  判決結果の予測

原告は本件につき無罪を主張していたが、被告の調査では無罪になる可能性はまず考えられなかった。事実、一審は四年八ヵ月もの慎重審理の結果、原告を有罪と認定したのである。控訴審は逆転して無罪の判決をしたが、その理由は公訴事実が事実無根であるとしたものではなく、外形的事実はすべて認めた上で、横領の対象となった金員の所有者の点についてのみ一審判決と結論を異にし、それは全販連の簿外資金ではなく原告の所有かもしくは全販連東京支所畜産部養鶏課職員の共有であると認定し、従って業務上横領罪には該当しないとしたものである。しかも「原判決のように、これを全販連東京支所の所有に属すると見る余地もないとはいえない」とわざわざ判決文で疑問を呈しつつ右認定をしているのである。

こうした事後的経過を見てもわかるとおり、起訴当時、無罪の可能性が殆どないと被告が判断したことは誤ってはいなかったのである。

先に3ないし5で述べた事情及び右に述べたことを総合考慮して被告は原告に対し本件休職処分を発令したのである。従って右処分は法的には全く問題のない、正当なものである。

7  起訴休職と賃金請求権

被告就業規則四四条三号は事故休職(起訴休職)中の給与は支給しないと定めているので、被告は原告に対し、本件起訴休職期間中の給与を支給しなかった。この点につき原告は、民法五三六条二項の適用があると主張する。しかし、起訴休職は労働者が自ら招いた犯罪の嫌疑により起訴されたことに基づき、使用者が前述した目的・観点からその労務提供を引き続き受けることができないと判断して行うものであり、その根本的な帰責原因は当該労働者にある。従って民法五三六条二項にいう「債権者(使用者)の責に帰すべき事由」による労働者の履行不能に当らないというべきである。

ところで休職期間中といえども、本来兼職禁止規定(就業規則一五条)の適用があるところ、被告人事部長古山一彦(当時)は原告に対し、前述のとおり同人の保釈直後、同人の休職期間中の生活を考慮し、右規定は適用しないことを告げた。そして現実に原告は、昭和五〇年二月頃から同五四年初め頃まで、鶏のひな等を取扱う株式会社スターチックに勤務し、その後同五四年四月二六日付で冷凍食品、堆肥・畜産用資材等の販売を行う株式会社甲田(資本金四三〇万円)を千代田区《番地省略》に設立して代表取締役に就任し、収入を得ていた。また原告が昭和五六年一二月二五日付で退職するに当っては、被告の退職給与規定によれば退職金の算定上、起訴休職期間は原則として勤続年数に算入しないところ、原告については本件裁判の経過に鑑み、特別措置として右休職期間六年一〇ヵ月を勤続年数に算入する取扱いとした。この優遇措置により原告に支給した退職金の加算額は約三一四万円になる。

8  原告は、無罪判決の確定により本件起訴休職処分は遡及的に不当となったと主張するが、右主張は理由がない。

起訴休職処分は前述した目的・観点を総合判断して行われるものであり、その観点からのみ右処分の正当性が判断されるものである。従って結果的に被処分者が無罪とされたか否かとは法的な関連性がなく、無罪判決の故に起訴休職処分の正当性が遡って否定されるものではない。東京高判昭五一・六・二九国鉄鹿児島機関区事件・判例時報八一八号三〇頁も「起訴休職の本質は、本件労働関係を規律する措置……であって、犯罪の成否には直接の関係がないから、後日公訴事実の証明がないとして無罪判決が確定したとしても、遡って直ちに当初から起訴休職が無効となるものではない。けだし、通常起訴にかかる公訴事実が認められなかった場合でも、事件の係属中職員を職務から解放する必要の存したこと及び公訴事実によって特定された犯罪の嫌疑が事件の係属中存続したことは無罪判決があっても、休職の理由たる意義を失うものではないからである」と判示して右の理を認めている。

四  被告の右主張に対する原告の認否

1  三1の事実中、古山人事部長が原告に対し休職期間中他に収入を得る方途を求めるよう促したとの点は否認し、その余は認める。

2  同2の事実中、会員数等の数字は不知。その余は認める。

3  同3の事実中原告の経歴、原告が捜査当局から受けた嫌疑、捜査の進展状況、全購連と全販連の合併、乙山の逮捕の点は認めるが、その余は不知。

4  同4の事実は不知ないし争う。

5  同5の事実中裁判の審理経過の点は認める。原告の保釈後、公判審理のため原告の被告に対する労務提供に支障があったことは否認する。公判期日への出頭は、有給休暇の利用により十分まかなえたし、弁護人との打合せ等も勤務時間外に行うことが可能であった。

6  同6の事実中判決の内容については認める。その余は否認する。

7  同7の事実中、原告が休職期間中の昭和五〇年二月頃から同五四年初め頃まで株式会社スターチックに勤務し、同年四月二六日株式会社甲田を設立して代表取締役に就任したことは認める。被告の退職給与規定上の算定については不知。その余は否認する。

8  同8の主張は争う。

五  仮定抗弁(消滅時効)

仮りに本件休職処分が無効で、休職期間中の給与が支払われるべきものとすれば、給与支払日は毎月二一日であるから、本訴が提起された昭和五八年七月二九日までに、原告が本訴で請求する昭和四九年一二月分から昭和五六年九月分までの給与のうち、昭和五六年七月分までの給与支払請求権は、二年の経過により時効消滅している。

六  仮定抗弁に対する反論

原告の本訴請求にかかる給与支払請求権の行使は、無罪判決の確定した昭和五六年一〇月一日から可能になったというべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  請求の原因2において、原告は、休職期間中の賃金を請求する理由として、本件休職処分が不当な処分であり、あるいはもっぱら被告の都合によりなされた処分であるから原告が労務を提供できなかったのは、被告の責に帰すべき事由によるものであると主張するので、この点について順次判断する。

1  本件休職処分の当否について

(一)  被告の就業規則によれば、従業員が刑事事件に関し起訴されたときは休職を命ずることになっており、ただし、会長が必要と認めたときは別の取扱いをすることができることになっていること、休職の期間はその刑事事件の係属中であること、休職期間中の給与は支給しないことになっているが、特別の事由ある場合は別に定めることができる旨定められていることは当事者間に争いがない。

ところで、従業員が刑事事件に関して起訴された場合、それだけで常に労務の提供が不可能になるとは限らないが、起訴事実の内容と当該従業員の地位・担当職務によっては、職務にそのまま従事させることが対外信用、職場秩序の維持の上で支障を生じ、あるいは公判期日への出頭等のため労務提供にも支障を生ずる場合があり、起訴休職は、このような場合に従業員を刑事裁判の確定まで一時的に業務から排除するための制度である。したがって、このような支障がないのに起訴休職が命ぜられたときは、これによる就労不能は、使用者の責に帰すべき事由による履行不能として、従業員は反対給付である賃金請求権を失わないというべきである。

(二)  本件休職処分について、右の見地からその当否を検討する。

(1) 被告は、農業協同組合法に基づいて設立された非営利法人であり、組合員及び会員のために最大の奉仕をすることを目的としていること、農業協同組合は、生産者農家が組合員である市町村段階の単位農協、単位農協が都道府県段階で組織する連合会、さらに都道府県段階の連合会が全国段階で組織する全国連合会の三段階組織となっているが、被告は農家生産物の集荷販売部門を扱う全販連と農家の必要とする生産資材等の購買供給部門を扱う全購連が昭和四七年三月に合併してできた経済事業に関する全国段階の農協連合会であること、原告は、大学を卒業して入会した幹部職員で、起訴にかかる公訴事実を犯したとされる昭和四六年一二月から同四七年一月当時は合併前の全販連東京支所畜産部養鶏課長の職にあり、同支所の行う鶏の雛及び動物用医薬品の販売等の業務を担当し、本件休職処分(昭和四九年一一月)当時は合併後の被告本所養鶏部養鶏課長の職にあったこと、本件起訴にかかる公訴事実は別紙記載のとおりであるが、原告が捜査当局から受けた嫌疑は、原告が職務上の地位を悪用し、業務上保管中の動物用医薬品の販売代金二〇〇万円余を全販連本所養鶏部長乙山と共謀して横領し、遊益費等に費消するなどしたというものであったこと、右事件については昭和四九年春頃から警視庁捜査二課による捜査が行われ、被告の養鶏部門関係職員らが参考人として事情聴取されるとともに被告の関係部署の家宅捜索も行われ、多数の帳簿や書類が押収されたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

(2) 《証拠省略》によると次の事実が認められる。

本件起訴にかかる事件について、原告の共犯とされた乙山が逮捕された昭和四九年一〇月九日毎日新聞朝刊一面に「全農の“黒い霧にメス”、違法の家畜薬品流す」という六段抜きの見出しをつけて報じられたのをはじめとして、右事件について連日のように各全国紙に報じられ、原告逮捕の事実は、同年一〇月一五日付け朝日、毎日、読売、日経の各紙に、日経には原告の顔写真入りで報道された。

同年一〇月二八日には、被告従業員で組織する労働組合である全農労が、被告会社宛公開質問状を発したが、その中で、右事件は「全農及び系統農協の信用を失墜させた点において、きわめて重大な問題である。」「日々、全農に働く職員にとってもきわめて不名誉なことであり、労働組合員、多くの管理職のみならず系統農協に働く人々の間で、事態を引きおこすに至った原因とその責任の所在、責任のとり方について全農自らが明らかにすべきとの世論が圧倒的である。」と述べられている。

昭和五〇年六月三〇日開催の被告臨時総会で、被告の会長は、会員に対し、右事件が会員はじめ、農協生産者に至るまで、不信と疑惑を招いたことを詫びるとともに、これが払拭と信頼の回復のために綱紀粛正について全会的に取り組むことを約した。

乙山の直属部長であった丙川春夫は、原告が起訴された直後の昭和四九年一一月五日に右事件に関連して逮捕され、既に退職後であったが、取調べ中検察庁の取調室から飛び下りて自殺した。乙山は、右事件について警視庁の捜査が始まった直後の昭和四九年三月一日アイロンで自分の頭を強打して自殺を図ったが未遂に終り、その後ほとんど出勤せず、同年八月五日付けで依願退職した。右事件発生当時の全販連の寺村筆頭常務は、監督不行届きの責任を痛感し、昭和五〇年三月一四日被告の関連会社である協同リース株式会社の取締役社長を辞任した。参考人として取調べを受けた者のうち当時本所養鶏部勤務の管理職二名は各出勤停止六日間、当時の本所養鶏部養鶏課職員一名及び東京業務支所養鶏課職員一名は各譴責の処分を受けた。

原告は昭和四九年一二月一七日被告会長宛に本件休職処分の辞令を返送するとともに、同年一〇月三一日付退職願を同封し、「事件の結果が良くも悪くもその後会の御世話になる意志はありませんでした。」と述べている。

(3) 右(1)、(2)認定の状況に照らすと、原告が昭和四九年一一月二五日には保釈により釈放され、その後の公判期日への出頭は有給休暇の利用によりまかなえたとしても、被告本所養鶏部養鶏課長の職務を本件起訴後も従前どおり遂行することは、原告の地位、担当職務と公訴事実の関係、職場の内外に惹起された原告への不信感から客観的にも主観的にも不可能であったと認められる。したがって、本件休職処分は、社会通念に照らし、起訴休職制度の前記趣旨目的に沿う正当なものとして是認することができる。

2  無罪判決の確定による本件休職処分の遡及的失効の主張について

本件起訴にかかる業務上横領被告事件について、第一審においては有罪の判決が言渡されたが、控訴審において無罪判決が言渡され、同判決が確定したことは当事者間に争いがない。原告は無罪判決確定により本件起訴及びこれを前提とする本件休職処分が遡及的に不当となったと主張する。しかし、公訴の提起は、公訴事実について裁判所の審判を求める行為であって、無罪判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法不当となると解すべき理由はない。そして起訴休職は、起訴された従業員が有罪となることを前提として休職を命ずるものではなく、起訴されたこと自体を要件として前記のような趣旨、目的の下に事件の係属中暫定的に従業員を業務から解放するものであって、無罪判決が確定しても、休職の終了事由となることは格別、判決確定までの間犯罪の嫌疑が存在したことに変りはないから遡及的に休職を不当ならしめることはないというべきである。

3  本件休職処分がもっぱら被告の都合によるものであるとの主張について

起訴休職は、労働者が自ら招いた犯罪の嫌疑により起訴されたことに基づき、使用者が事件の係属中当該労働者を業務から解放するために行うものであり、その根本的帰責原因は、当該労働者にあるというべきである。原告は、保釈後労務提供は可能であったから、本件休職処分は、被告の対外信用、職場秩序維持というもっぱら被告の都合によってなされたと主張する。しかし、不信と疑惑を招いたのは、原告自身の行為であって、第三者が使用者である被告の責任を問うことはともかく、原告が自らの行為の結果についてその責任を被告に帰することはできないというべきである。また、前記認定のとおり、同種疑惑により逮捕された元養鶏部長は取調べ中自殺し、原告の共犯とされた乙山も自殺を図ったのち依願退職し、原告自身も本件休職辞令を返送するとともに退職願を提出し、事件の結果が良くも悪くも職務に復帰する意志がないと表明していることに照らしても、起訴後の就労不能がもっぱら被告の責に帰すべき事由によるとの主張は採用できない。

三  以上のとおり、休職期間中の就労不能が、被告の責に帰すべき事由によるとの原告の主張は、いずれも理由がない。

よって本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 白石悦穂)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例